「いいもの」がわからなかった昔の自分へ
いいものを見なさい、いいものを食べなさい。
いいものに触れていれば、自然と自分の審美眼がいいものになるから。
そんな言葉を受けてずっとモヤモヤしている自分がいた。
制作者だから、いいものをつくりたい!という気持ちはいつもあるけれど、「いいもの」って何?
人は当たり前のように「いいもの」について話をするけれど、それがわからなかった。
値段が高いからいいもの?お金をかけて作られたからいいもの?偉人の作品だからいいもの?バズってるからいいもの?
それだけがいいものではないと言う人もいる。
じゃあ、どうやっていいものを判断したらいいの?
そんな風にずっと「絶対的にいいもの」を探してきた。
でも、そんなものは存在しないんだってことに気づいた。
誰かにとってのいいは、誰かにとってのわるいかもしれない、だからそのものを「どうやって見るのか」次第なんだって。
いいものが何かを判断するためには、そのための判断基準が必要なんだ。
絵画に対して自分の家に飾りたいかどうかで判断するなら、「飾りたい絵画がいいもの」でしかなくて誰が描いただとか値段だなんて関係ない。
仕事であればそのプロジェクトの目的は何?どういったユーザーが利用するの?これらをきっちりと受け止めて作れていれば、それはきっといいものなんだと思う。
今まではいいものがなんなのかはよくわからないけどいいもの作りたい、という暗闇の中をがむしゃらに走るようなことをしてきた。
でも、判断基準があればいいんだってことに気づけて随分と気持ちが軽くなれた。
それでいいんだって思えるようになった。
判断基準を定めることは、作ることよりももっと難しいことだと思う。
でも、暗闇の中をがむしゃらに走るよりか、随分と走りやすいはずだし、立ち止まって周りを見渡してどうすればいいかも考えられる。
そうすればきっと、今までよりもっといいものが作れると思うから。
「いいもの」がわからなかった昔の自分に、そっと伝えてあげたい。